命の境界線
初夏に父方の従姉妹といっしょに父のルーツである福井県に初めて行った。
せっかくだからと、遊覧船に乗って国の天然記念物にも指定されている東尋坊巡りをした。
巨大な岩柱が約1kmにわたって続き、壮大な景観である。北陸屈指の景勝地。
断崖絶壁に日本海の荒波が打ち寄せるさまはダイナミック。
冬には、砕けた波しぶきが白い泡状に凍って宙を舞う波の花が見られることもあるという。
上からのぞき込むと確かにこわい。
特にわたしは高所に立つと吸い込まれそうになる自分がこわくなる。
東尋坊は自殺の名所?としても知られているが、
昨今は自殺を食い止めようとボランティアが巡回しているため、
自殺者の数が減少しているそうだ。
ボランティアのひと言で死のダイビングを思いとどまるのか、効果を上げているらしい。
他人のひと言がひとつの命を救うこともあるのだな。
自死についてはいつも結果を知らされ、命ぎりぎりだった?残された人たちは?
生者である自分は悔しい悲しいの思いがいろいろと飛び交うだけで、
結局のところ、いまだに答えはみつからないままである。
40階のビルから飛び降りて九死に一生を得た人がいた。
ところが「なんで死なせてくれなかった」と患者に迫られた医師は
「命は大切です。あなたが命をつなげてみんな喜んでいます」と伝えた。
しかし、その患者が退院後まもなく再び死を選んだと知って、
医師は心底悲しいと思ったという。
その人の背景にあるものを治すことができなかったという悲しさなのだろうか。
最近出会ったカワラヒワという鳥が
実はすずめのようにそこら辺りを飛びまわっていると知って、
ふと一羽のすずめのことを思い出した。
それは、一昨年の父が逝った年の盛夏のことである。
実家のダイニングにあるストーブが突然、ガサガサと音を立てた。
すぐ下の弟が「ネズミか?」と言いながら、ストーブをたたいた。
「ネズミじゃないわよ。きっと、すずめが煙突から迷いこんだのね」と母がいう。
とにかく蓋を開けてなんとか逃がそうと三人の意見が一致して、
「せいの〜」でわたしが蓋を開けた。しかし、なにも出てこない。
「蓋が開いたから出る」という認識がすずめにはないのかもしれない。
しばし、沈黙。すると母が「なにもしないから、ただ出てきて飛べばいいのよ」と声をかけた。
沈黙。わたしと弟が軽くストーブをたたいたりしていると、
それが通じたのか、なにやらガサガサと飛び立つ準備?
おお〜、一瞬にしてすすにまみれた真っ黒なすずめが飛び出して舞った。
リビングから和室をひとまわり、再びリビンクを通過して廊下から玄関へ。
それがさよならの挨拶なのか、「チュン、チュン」とさえずって外に飛び出したのだった。
母とわたしもいそいで外に出ると、なんと真っ黒なすずめがこちらを向いて
さらに大きく「チュン、チュン」とさえずった。
「よかったわね」と母と言い合いながら、夏の空を見上げた。
先日、取材のため札幌の実家に泊まったのだが、あいにくの大雪に見舞われた。
母が雪掻きをしたあと、「すずめ、この雪じゃ、食べるものがないわね。お米をあげるわ」と
皿に米をのせて門柱のてっぺんに置いて、こう言った。
「わたしが玄関を開けて外に出ると、すずめが啼くのよ。
ほら、あのときのストーブに迷いこんだすずめが覚えているのかしら」
すずめの寿命がどれくらいなのか、あのすずめが生きているという保証もない。
しかし、そんなことがあっても不思議ではないと、
母のうれしそうな顔を見て思ったのだった。
<東尋坊>