羽根のような詩集
フライング・ブックスという古書店で手のひらサイズの詩集を買った。
手のひらに乗せると、何枚かの羽根を重ね合わせたようなふわりとした感触だ。
漁をする詩人、長沢哲夫さんの『ふりつづく砂の夜に』。
ぶらぶらと
ぶらぶらと いのちを
歩いていく
表題作の冒頭。ああ、いいなあ、すーっと心に届いた。
夢中になってつづきを読んだ。
彼の目になった。そのまま風景が広がった。
長沢哲夫さんの詩には、観念的な言葉は存在しない。
アンチテーゼでもなく、呪詛でもなく、宣言でもなく、思想でもなく、
豊かな世界。太古の記憶。
空と大地、海と風、木々と生き物たち、
自然の営みを眺めて、感じて、話しかけてきたナチュラルな時間の旅。
長沢哲夫さんの詩を読んで、シンプルにうれしくなった。
それは決して癒しというのではなく・・・・。
ふと、探していたのかもしれないなあ、などと思った。
詩といえば、高校生のころはハイネやリルケや立原道造などが好きで、
気に入った詩をこっそり暗誦した。自室であるいは浴室、密室の楽しみ。
特に湯船の中では間違えずに詠みきるまでねばった。
そんなことするものだから、毎度、桜色に染まる頬どころか、真っ赤なゆでだこ状態。
心臓はばくばく、気分が悪くなることもたびたびだった。
高校三年のとき、湯船から上がって鏡をのぞいた途端に、
目の前が真っ暗になってそのままバッターンと倒れた。
浴室に飛び込んで来た母に「K子」と揺り動かされて気がついた。
蛇口にぶつけた臀部がとても痛かった。
その後、入浴するたびに母に声をかけられるようになったが、長湯は相変わらずである。
詩といえば、そんなことを思い出すというのもトンマな話ではあるが。