久しぶりに自分の本が出版されてほっとした秋。
奮闘していたときのさまざまな時間が甦り、感慨深かった。
不思議なもので、ひとつの形となって自分の手から離れてしまうと、
それぞれの読み手にゆだねるしかない、などと思った。
本の行方が気にならなかったといえば嘘になる。
いろいろな感想をいただき、とても励みになった。
刊行の二ヶ月後、版元から連絡が入った。
「図書館で点字にしたいといってきているが、オーケーだよね」。
思いがけないことだったので、びっくりした。
未知の人が、指先で読んでくれるのだなと想像して、
涙がでるほどうれしかった。何かしら、通じ合えるものがあればとてもうれしい。
昨年に引き続き、世界も日本も、そしてわたしにもいろいろあった2005年もあとわずかだ。
自然の原理のもと、良きこと、悪しきこと、
すべての営みがまるごと2005年の中におさまってしまうのだろうか。
16年半勤務した会社をやめてフリーになった。
不安と焦燥をこえて、久しぶりの開放感を味わった。
「元気そうだね」などといわれて、そうか、そういうことだったのか。
2005年もまた、人のやさしさにふれ、人に支えられた年だった。つくづくそう思う。
社会的には残念なこと、悔しいこと、悲しいこと、あきれるような事件、事故が
数えきれないほどあったのだな、2005年も。
なかでも、胸に杭を打ち込まれたかのような重い痛みを感じる、
残酷で陰惨、卑劣きわまりない事件があとを絶たないという事実である。
みんなに祝福されて、希望そのものとしてこの世に生まれてきたであろう「命」が、
無惨にも摘み取られてしまったという事実を知らされたとき、誰もが憤りを感じただろう。
一方では、事の真相に迫ろうとして過剰な演出を駆使する報道に対して
違和感を感じたのはわたしだけではなかったと思う。
確かに、テレビも新聞も報道の自粛を迫られたかのような対応ではあったが、
やはり、女の子たちの写真を見ると、いたたまれない気持ちになった。
事件の究明は必要なことかもしれない。
しかし、ただただ悔しく、悲しいばかりである。
わたしには女の子たちの顔を胸に刻み込むよりほかにすべがない。
2005年の緞帳が降りようとしている。
すべてがここで終わるのではないということに気づく。
それは明日も明後日も続いていく。
新しい年を迎えても、過ぎ去った年の続きの「いまを生きる」なのだなと思う。
〈2005.12.17〉