梅雨どきの蓮に想う

七月には蓮に会うと決めて、今年もまた薬師池公園へ。
梅雨の明けない不安定な日の朝、カーテンを引くと小雨模様。
この程度なら撮影に支障はないと、カメラをぶらさげて家を出る。
町田に着いても傘をさすほどの雨ではなかった。
前日よりも涼しく、むしろ快適な天候といえる。
バスの車窓から眺める風景がのどかだった。

今回は薬師池公園の裏門から蓮田に向かって歩いた。
木々のあいだから鳥の澄んだ声が聞こえてくる。
いいね、いいねとうっとりしているそばから、
「コケコッコー」とせわしく歩き回るニワトリの姿に思わず苦笑。
蓮池にピンクの花を探すのに難儀した。昨年よりもさらに遅い開花らしい。早すぎたのだ。
それでも、長い首をのばして微笑む蓮の花に出会ったときには、
懐かしくて、うれしくて、こみあげてくるものがあった。

蓮の葉というのは、その形状が蕗の葉にも少し似ているのだが、
明らかにちがうのは、切れ目がないということ。
だから、雨のしずくを受容する力があるのだ。
葉の中心に雨のしずくがたまり、まるで水晶のようにキラキラと輝いている。
そっと葉のふちをつまんで揺らしてみると、
たまっていたしずくが葉の上をころころ、ころころと踊り出す。楽しい。
そして、面白い現象に出会った。
蓮池に茂る葉たちが、しずくの重さに耐えきれなくなって、揺らいだのだろう。
しずくは蓮池へとすべり落ちていく。
あちらこちらから、いっせいに涼やかな音が響いてきた。
それはまるで音楽のようだった。

蓮の花は池の泥が濃いほど美しく咲くという。
それを人の一生にたとえてみる。
あと少し、ほんの少しだけ我慢して、泥水に耐えていたのなら、
美しく咲くきっかけを見失わずにいたかもしれない。
などと蓮の花に重ねて人の一生を想った。
                            〈薬師池公園〉2006.7.17

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