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雪の日の出会い

 芝山祐輔は小説家である。
 二十八歳で文芸雑誌の文学新人賞に輝き、一躍脚光を浴びた。それが小説家として
のデビューだった。各紙で絶賛された受賞作は脱サラ青年の成長物語である。小説に
登場する二十三歳の青年は入社一年足らずで一流企業を辞め、単身アメリカに渡り、
アルバイト先で知り合ったアメリカ女性と家庭をもち、紆余曲折を重ねながら小さな
農園を手にする。アメリカでの変化に富んだ生活がいきいきと描かれ、そこに主人公
の生き抜くエネルギーといったものが放出されている。芝山自身、アメリカで二年間
の赴任生活を送った経験があり、それは小説を書く原動力にもなった。
 受賞作はすぐに刊行され、たちまちベストセラー作家の仲間入りをした。当然のこ
とながら、デビュー後の芝山には各方面からの原稿依頼、マスコミ取材が殺到した。
二足のわらじなど珍しくもなんともなかったし、芝山が勤務する広告代理店にはすで
に作家活動をしている人間もいた。
「またしても大手代理店勤務のエリート作家の誕生」「成城生まれの慶応大卒、文句
なしのルックス。天は三物を与えた」などともてはやされ、普段は文学的な話題とは
無縁の女性週刊誌までが彼を追いかけまわした。芝山は予想外の反響に当惑した。職
場やクライアントの反応もさまざまで、芝山に祝福の言葉をかけたが、やはり好意的
に受け止める人間は少なかった。特に芝山をがっかりさせたのは、親しくしていた同
期入社の人間達の皮肉に満ちた揶揄する言葉の数々だった。だいたい、芝山は小説を
書いていることさえ彼らに打ち明けていなかったのだから、突然の受賞とマスコミの
対応に彼らが驚いたのは無理もなく、感想として皮肉の一つも言ってみたかったのだ
ろう。

 お祭り気分で盛り上がるマスコミに対しては仕事に支障をきたさない程度には応じ
ていたが、すでに芝山の気持ちは退職する方向へと傾いていた。
 第二作目を執筆中に辞表を提出し、ゲラ刷りが上がった時点であっさりと退職した。
上司には「辞めることはない。うちにはもう一人の作家がいるじゃないか。芸能人と
結婚しているやつもいる。やっぱりね、この業界にはきみのような人間が必要なんだ
しね。社長も大いに注目を集めてけっこうと言っているじゃないか」などと引き止め
られたが、まるで広告代理店の広告塔にされているようなその言い方も気に入らなか
った。
 芝山の決断に一部マスコミは「さらば、大手広告代理店」「あっぱれ、独り立ち」
と煽ったのである。当時の芝山は小説だけに集中してみようという気持ちがあったも
のの、果たして書き続けていけるのだろうかという不安も隠せなかった。危険な賭け
ではあった。最初にどれほど注目されても五年、十年先のことは予想もつかなかった。
印税生活がそれほど甘いものだとは考えられなかったし、本が売れなくなったら、ど
この出版社もヒット作を生みだす新しい作家の誕生を望んでいるのだから、堕ちてい
く姿も十分に想像できた。しかし、広告代理店の営業マンが自分に合っているとも言
い切れない部分もあり、芝山は腹をくくり、作家の道を選んだ。ちょうど、三十歳。
人生の区切りとする絶好の機会だった。
 フリーの生活は想像以上に快活だった。雑誌の原稿依頼が多かったのでほとんど毎
日のようにワープロに向かわなければならなかったが、行き詰まるということはなか
った。書きたいことは山のようにあり、それらを切り崩していくのが楽しみでどんな
に睡眠不足でも不思議と疲労が蓄積されなかった。いわゆる純文学系の雑誌からのス
タートだったが、芝山には作風へのこだわりはなかった。極端な話、ミステリーにも
食指は動いたし、いずれは書いてみようという気持ちもあった。とにかく、自分は書
きたいことを書いていこうと思っていた。たまには編集者の注文というのもあったが、
それにも柔軟に対応することができた。

 芝山にとってデビュー後の四年間がもっとも充実していた。すでに十数冊の本を世
に送りだし、いずれもわずか三カ月のうちに二刷、三刷、作品によっては四刷と発行
部数を伸ばし、確実に二十代、三十代の読者の共感を得ていた。生活のほうもかなり
のスピードで贅沢なものへと変わっていった。一DKのアパートを引き払って閑静な
住宅街に三LDKの新築マンションを購入し、車は国産車からベンツに乗り換えた。
「まるで芸能人かプロ野球選手のような豹変ぶりだ」と苦々しく思うこともあったが、
金は使わなければ意味がない。
「収入に見合った生活をすることこそ、金に敬意を払っているのではないか。これは
成り金趣味というものではない」
 当時の芝山はそう考えていた。もともとおしゃれだったので身に付けるものは腕時
計から靴に至るまでこだわったが、猫も杓子もいったブランド品や一目でキザに見え
るようなデザインは避け、めだたないところに個性を発揮し、それなりの金をかけた。
 その間に知人の紹介で知り合った五歳下の外資系の会社に勤務する末永美佐子との
結婚も果たした。美佐子はちょうど仕事が面白くなってきたところだったので「仕事
と家事の両立をめざす」と宣言し、二人はお互いの負担にならないように家事はでき
るほうがすればいいと、神経質になる必要もなかったし、特に家庭の味などというの
にもこだわりはなかった。二人とも特に子どもがほしいと思ったわけではなく、温か
い家庭を築いていきたいとも思わなかった。しかし、互いの生活のリズムが狂い始め、
たびたびの衝突から少しずつ沈黙の世界が広がり、そのうち一週間も二週間も顔を合
わさないような生活を望むようなった。二人はあっさりと一人に戻ることに合意して、
結婚生活は二年足らずで終止符が打たれたのである。

 三十五歳で再び独身に戻った芝山は「これで作品だけに集中できるだろう」と久々
に解放感を味わった。ときどきは十年前に成城から鎌倉に移り住んでいる両親のもと
を訪れたり、弟夫婦の家に遊びに行った。
 当分、結婚は考えられなかった。たまに食事をしたり、酒を飲んだりするようなつ
きあいのある女とはそのときの気分でセックスをすることもあったが、いずれも後腐
れのない関係である。芝山はどちらかといえばクールな発想をする女が好みだった。
女が甘えてくると突き放したくなり、干渉されると急に一人になりたくなる。
 そんな芝山を「冷たい。わがままだ」と批判する人もいたが、たいして気にもなら
なかった。小説以外のことは適当にこなしていく。そうでなければ作家なんてつとま
らないものだと考えていた。
 芝山祐輔の三十五歳の年が暮れていこうとしていた。(つづく)

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