rensai画像 (5)

「よお、意外と早かったな。こっちに座れよ」
 野村に勧められるままその横に座ると、いきなり女と向き合うかたちになって芝
山はとまどったが、それはすぐに驚きに変わった。
「やあ、ご無沙汰。野村が会わせたい人がいるというから誰かと思ったよ。いまも
アメリカにいるんだろう? ボストンだったかな」

 女は片岡真貴子といい、芝山と学部はちがったが大学時代の同級生で、ほんの一
時期、野村とつき合いがあった。卒業後、彼女は外資系のコンピューター会社に就
職し、何度か大学時代の仲間を交えて会うことはあったが、彼女が単身アメリカに
渡って向こうで結婚してからは一度も会ったことはなかった。かれこれ九年ぶりの
再会ということになる。芝山と同じ三十五歳だが、相変わらず彼女は美しかった。
「そうよ、五年ぶりの里帰り。おととい帰ってきたばかりなのよ。ほんと、久しぶ
りね」
「旦那と子どももいっしょなんだろう?」
「ううん。うちは子どもがいないから気楽。主人は大学勤務で忙しいし、どうせ来
月、研究発表とかで日本に来る用事があるから、今回はパスだって」
「そうか。でも、片岡は変わっていないなあ。すぐにわかったよ」
「やだ、当たり前じゃないの。十年やそこらじゃ、そんなに変わらないわよ。芝山
くんも大学のときと変わってない。でも、あなたが小説家になったのは知っていた
けど、すっかり有名人ね。五年前に帰ってきたとき、本を買おうと思っていて買い
そびれたままだったけど、きょう、書店に行ってみてびっくり。ずいぶん、書いて
いたのね。一冊、買ってきたわよ」
 そういってバッグから取り出した芝山の最新刊をテーブルの上に置いた。
「どうもありがとう。でも、恥ずかしいから引っ込めてくれよ」
「あら、いいじゃない。わたし、芝山祐輔の本を初めて買ったのよ。学生時代から
けっこう難しい本を読んでいたことは覚えているけれど、まさかね、小説家になる
なんて想像もつかなかったわ。でも、芝山くんってクールだったからわからなかっ
たけど、何喰わぬ顔しながらけっこう蔭では努力していたのね。風貌もそれなりに
小説家って感じ」
 ほんとうに変わっていないな、と芝山は苦笑してしまう。容姿もさることながら、
物言いも当時と同じだった。

 片岡真貴子は学生時代から目鼻立ちのはっきりしたスタイル美人で、しかも大手
自動車会社の重役の娘、性格もわがままを絵に描いたような派手な存在だった。ど
ちらかといえば、芝山が苦手とするタイプである。野村とつき合っていたが、一年
もしないうちに別れてしまったのは、真貴子のきまぐれが原因だったらしい。
「昨日、おれが留守の間に片岡から電話あったっていうからびっくりしたよ。同窓
会名簿を見て、電話してきたんだぜ。唐突なんだもんなあ。きょう、十五年ぶりく
らいで片岡の実家に電話したけど、緊張したよ」
「わたし、大学時代の同級生の連絡先なんて一人も知らないのよ。寂しいかぎりね。
いかに友達がいなかったか」
 誰からともなく笑いあった。
「さっき、遅くなるってカミさんに電話入れたら、きのうの女の人と会うんでしょ
うだって。芝山もいっしょだって言ったら、どうにか信じてくれたけどね」
 大いに照れる野村に反応した真貴子がからかうように「昔の恋人って言っちゃっ
たほうがよかったんじゃない」と軽口をたたく。そんなところも変わっていなかっ
た。
「冗談じゃないよ。相変わらずだな、片岡は」
「なんだ、それでおれを呼びだしたってわけか」
 芝山は注文を取りに来た店の青年にジャックダニエルズのロックを頼んだ。
「ちがうのよ。わたしが芝山くんに会いたいって言ったのよ」
 真貴子はあっけらかんと言い放ち、背中を向けたバーテンダーを呼び止めて「こ
れと同じのをお願いね」と右手でグラスを目の位置まで上げてみせた。
「片岡、相変わらず酒、強いよな。それで4杯目だぜ」
 野村があきれた顔をする。
「今回は二週間くらいゆっくりするつもり。こっちにいる間にいろいろ準備したい
ことがあるのよ。芝山くんと会ったのも何かの縁かも。ねえ、あなたが懇意にして
いる出版社の人、だれか紹介してくれないかしら?」
 いきなり本題をもちかけてきた真貴子の言葉に芝山はどきっとした。
「きみが本を出すのか?」
「なんだ、それで芝山に会いたいって言ってきたのか」
 野村も勢いよくたたみかける。
「急に二人に会いたくなったのよ」
「嘘つけ。まったく、片岡はちゃっかりしているよな。あのころと変わっていない
よ」
 野村が口をとがらせて一気にグラスの中身を飲み干した。
「それで、何を書いているのかな」
「ルポよ。けっこう、面白いルポだと思う。向こうで出したいと思ったのよ。でも、
日本人をルポしたものだし、日本語で書いたものだから向こうじゃだめよ」
 わがままで気まぐれ、ちゃっかりした性格というのは一見鼻持ちならないものに
見えるかもしれないが、一転すればプラスに作用するものである。気に入らないこ
とはしない。少なくとも自分の考えを押し通す能力は備わっている。それがごり押
しだろうと、突き進んでいくエネルギーに転化させることができる。ただ、軋轢を
生むというリスクは常につきまとう。

 芝山は学生時代の真貴子を思い出した。何をするかわからないようなところが彼
女にはあったのである。野村とつき合っていながら、芝山に別な男とデートした話
を平気で口にするような女だった。どういう神経してるのか。そんな感想を抱いた
のも芝山が若かったからなのか。それとも真貴子の行動が際立って理不尽だったか
らなのか。
 誰もが彼女を敬遠しながら、どこかで羨望していたこともまた事実である。恋人
が二、三人いても不思議ではないという印象。そのことに腹を立てても片岡真貴子
だからしょうがないという認識があった。
 彼女には自分が人にどう思われようが、いっこうにかまわないといったところが
あった。一見すれば、自己顕示欲が強くて目立ってしまう存在だが、根本的にはた
だ奔放な性格というだけだった。彼女が周囲の誤解を招くのではなく、周囲の人間
には理解しがたい性格だったのである。それが魅力的に映るかどうかは、個人の嗜
好という別な問題である。
 真貴子は一人で行動する以外はいつも男子学生といっしょだった。おそらく、真
貴子は女友達というものを必要としなかったのだろう。いつだったのか、芝山の記
憶は鮮明ではないが、何人かで飲んでいるときに、ふと真貴子が「女ってつまらな
いな」とつぶやいたことがあった。聞き流してもよかったが、たまたま耳にしたの
で、向かい側に座っていた芝山は「どうして?」と聞いてみるとと「さあね」と言
ったきり口をつぐんでしまった。すると、男子学生の一人が酔った勢いで、「それ
だけ美人で頭がよくて、しかも家が金持ち。就職だって結婚だって意のまま。女で
何が不足なんだよ。まあ、あとは性格だな」と言ってしまってからハッとした表情
に変わったが、いわれた本人は「性格ねえ」と横を向いたきり黙ってしまい、場が
しらけたことがあった。
 芝山は目の前の真貴子から視線をはずして、そのときのことを思い出していた。

「なあ、もっと具体的なこと教えてくれないかな。どういうルポなんだい?」
「アメリカで働く日本の若者の実態。珍しくもなんともないと思うでしょう? で
も、これがちがうのよ。実はね、きのう、芝山くんのデビュー作を図書館で一気に
読んだのよ。アメリカに渡った青年の話、興味深かった」
 真剣な視線を向けてくる真貴子に芝山は一瞬とまどったが、彼女がどういう感想
をもったのか気になった。
 芝山がデビューしてからかれこれ七年が経っている。いまでは芝山のデビュー作
が表に顔を出すことはほとんどなく、常に現在進行形という作家活動である。七年
も経過しているのに、原点であるデビュー作の登場か。突然、芝山は黒川麻美のこ
とを思い出した。あのときと似ている。ここにきて、二人の女が初めて芝山のデビ
ュー作を解体しようというのか。不思議な因縁を感じた。
「とてもよかったわよ。あれを書いていたときの芝山くんの気持ちが想像できた。
だから、会いたいと思ったのよ。そして、いちばん新しい本も読んでみたいと思っ
たわけ」
 真貴子がいうのを聞きながら、芝山は漠とした問題が浮上したような錯覚に陥っ
た。言葉を失って、問題の核心を探っていた。なんだろうか。
 野村が横の芝山を見やってから切りだした。
「あのデビュー作はおれもいいと思ったよ。だから、売れたんだしね。でも、マス
コミの取り上げ方がなんだかいやらしかったよな。片岡は日本にいなかったからわ
からないだろうけど、なんていうのか、下品だったよな。外見とか、大手広告代理
店勤務だとか、慶応出身のお坊ちゃまだとかさ。とにかく火をつけてしまえって感
じ。特に大手出版社の女性誌がそろい踏みで芝山を取り上げるんだもんな。二、三
年はアイドル扱いだったよな」
 野村の口から当時の状況が語られるのをじっと聞きながら、芝山は別のことを考
えていた。やはり、問題が起きているのだろう。どこで? 自己の内部か、もしく
は目に見えない世界で?
「へえ、そうだったんだ。派手なデビューを飾ったってわけね。作品自体はとても
地味で手堅い。あのよさをどれだけの人が理解できたのかしらね。人気のほうが一
人歩きしちゃったかな。でも、それがきっかけだとしても作家活動を持続させてい
るんだから、やっぱりたいしたもんよ」

  真貴子の直裁的な表現にも不思議と不快さは感じなかった。かつて、芝山自身が
何度もそのとおりだと思ったことであり、それは十字架のようなものだったからで
ある。(つづく)

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