芝山が野村と真貴子の二人と別れ、冷え冷えとした室内に戻ってきたのは午前一
時近かった。
すぐにエアコンを入れ、トレーニングウェアに着替えてから芝山はパソコンに向
かった。深夜のメールは件数が少ないが、出版社の担当編集者は夜遅くまで仕事を
していることが多いのでチェックは欠かせなかったし、ひょっとして黒川麻美から
届いているかもしれないという予感があった。それは、先ほど片岡真貴子と話をし
ているときに感じたことでもあったからだ。芝山はどこかでシンクロしているのだ
という確信をもっていたのである。
太文字で表示された二件のメールの件名が画面に映し出された。一つはS出版社
の文芸誌の担当編集者からで「近日中に打ち合わせを」のタイトルが目に入った。
もう一件の「ありがとうございました」のタイトルにはっと思い、差出人の名前を
目で追っていくと、果たして黒川麻美からのメールであった。
芝山は一瞬、自分でも驚くほど鼓動が早くなるのがわかった。すぐに開いてみる
と、長い長い文章が綴られていた。芝山は食い入るようにして文字を追っていった。
芝山祐輔さま
先日は著書をいただきありがとうございました。
デビュー作『大地の風』を読んだあとにすぐに感想をと思ったのですが、次から
次へと読みたくなり、結局、すべてを読み終えてから感想を書こうと思いました。
あの大雪の日から二週間、こんなに遅れてしまって申し訳ございません。
感想文を書くのは昔から苦手です。しかも、わたしは最近の小説というものをまっ
たくといっていいほど読んでいない人間です。高校時代までは読んでいました。と
いっても家にあった日本文学全集や世界文学全集の中から興味のあるものだけを読
んでいただけですが。
ある一冊の小説を読んだときに、人気作家と呼ばれる人たちの小説に興味をなく
したといっては語弊がありますが、保母という仕事についてみてますます小説から
は遠いところにいるのだなと感じました。園児たちの行動と発想、飛び出す言葉に
とまどいと感動を覚える日々、そして、父兄を含めた現実的な問題が浮上するたび
に頭を抱える日々が過ぎていきました。子どもの心はどこまでわかるのか。いまも
大きな命題をつきつけられて、わたしは右往左往です。
いただいた五冊についての感想はとても書ききれませんので、ここでは『大地の
風』だけに留めておきたいと思います。模索と流転、そして果てしなき夢の継続を
一枚の絵にしたような人生のワンシーンが鮮やかに浮かび上がってきました。『大
地の風』はまるで絵画のように感じられたのです。おそらく主人公が日本ではなく、
アメリカの田舎で農園を手に入れたというシチュエーションがわたしに絵画をイメ
ージさせたのかもしれません。映像ではなく絵画です。
破壊と再生のストーリーは小説の醍醐味なのでしょう。気がつくと、高校時代ま
でにわたしが選んで読んでいた小説のほとんどがドラマチックでしたから。ストー
リーを追うのが通俗的であるかどうかは別にして、登場する人間たちのキャラクタ
ーの細やかな描き込み方によってスリリングな面白さが生まれたのが『大地の風』
なのではないかと思いました。これまでの生活を捨てるという行動におよんだ主人
公が求めたものは具体的な意義ある人生ではなく、むしろ心地よい彷徨に身をゆだ
ねることだったのではないかと思いました。こう書いてしまうと、農園を手に入れ
た幸福であろう結末が霞んでしまいがちですが、行く手に結末のないドラマが広が
って見えました。
笑って終わり、泣いて終わり、事件が解決して終わりという完結された小説は読
み手のカタルシスを一応は満足させますが、わたしなどは逆に想像力を削がれ、つ
まらなく感じるのです。ネガティブな発想かもしれません。
長くなって申し訳ありません。わたしの率直な読後感でした。
ほかの作品も一気に読みましたが、やはり『大地の風』がいちばん好きです。読
みながら、ヘルマン・ヘッセの小説を夢中で読んでいたころの自分を見つけました。
不思議です。これからも何度か読むことになりそうです。
感想が遅れたことをお詫びいたします。そして、今後ますますご活躍されること
をお祈りしております。
黒川麻美
芝山は画面をスクロールさせ、再び麻美の文章を目で追いながらあきらかに動揺
している自分を発見していた。何がそうさせるのか。これほど長いメールも予想し
ていなかった。『大地の風』についての麻美の感想は芝山の虚を衝くものであった
が、「これからも何度か読むことになりそうです」という表現は芝山を満足させる
ものであったし、懐かしいヘルマン・ヘッセの名前を目にしてうれしい意外性も感
じた。ただ、デビュー作がいちばん好きだということには一抹の寂しさを味わった
のである。
芝山はすぐに返事を書きたいと思ったが、S出版社の編集者からのメールを読ん
でいないことに気がついた。
編集者が書いてきた内容とは「新刊の売れ行きが予想をはるかに下回っており、長
編小説の梗概を含めて今後の作品との取り組み方を話し合いたい」というものだっ
た。芝山はここでも動揺した。「売れ行きが悪いのは作品自体に問題がある」と言
わんばかりの編集者の意図が読み取れた。
十一月下旬に書店に並んだ新刊の発行部数は前作と同じ数字ではあったが、売れ
行きが以前よりも遅いペースであることは年末に編集者も連絡してきたことだった。
そのときは「出遅れているだけで心配することはないだろう。固定の読者がいるし、
雑誌の書評欄でもかなり取り上げられているから、数字は伸びていくだろう」と自
信を持っていたはずだった。しかし、一転して今後の作品云々ということになると、
芝山としてもここは腹をくくって話し合いに応じなければならないと思った。
ふと、先ほど片岡真貴子が言ったことが脳裏に浮かんだ。デビュー作をほめてお
きながら、別れ際にはかなり厳しいことを口にしたのである。
「小説家っていうのは、次から次へと作品を書いて、いつもストックがなきゃだめ
なんでしょう? たとえデビュー作にはおよばなくても、あら、ごめんなさい、一
応はよしとされてしまうのかな。でも、芝山くんはこれからたいへんよね。ずっと
売れ続けていく保証なんてどこにもないから。書き手があふれているし、何が当た
るか予想もつかないじゃない? 大ベストセラーになるような小説を書かなくちゃ
ね。芝山くん、切り札持っている? それをいつ出すか、タイミングが大事かもね。
デビュー作で札を出しちゃったから、それこそあとは、出版社の要求に応えながら
小説製造機械みたいになってもしょうがないのかしら。生活を支えていくのだもの、
売れなきゃね」
デビュー作しか読んでいないのにずいぶんはっきり言うなと思ったが、芝山はあ
えて反論はしなかった。真貴子の意見は当たり前のことだったからである。売れな
くてもいいわけがない。好きなように小説を書いて、それが売れてくれれば文句は
ない。おそらく作家の大半はそう思っている。
出版社にとっては、自信を持って世に送り出した作品が売れるということが大前
提である。作家が小説を書き、編集者がそれを読んでいろいろと注文をつけるとい
うのは昔と変わらないが、編集者は時代のトレンドを見て何が要求されているのか
を的確に判断して、作家に書かせる傾向にあるのは否めない事実である。
本が売れなければ、作家の力不足が問われる。商品価値がなかったということに
なる。まさに芝山 はそんな時代の申し子であった。確かにこれまでは人気作家とし
て認められ、安定した活動が続いていたが、ここにきて人気にも翳りがさしてきた
と見るべきなのか。それとも編集者の独り相撲なのか。
芝山はそんなことをぼんやりと思いながら、編集者宛てに都合のいい日時をメー
ルに書き込んで送信した。そして、麻美への返事を書き始めた。
黒川麻美さま
メールをどうもありがとうございました。お元気でしたか? あの大雪の日、ご
足労いただいて恐縮でした。夢の話は楽しかったです。
『大地の風』ついての感想をとてもうれしく読ませていただきました。「果てしな
き夢の継続を一枚の絵にしたような」という意外な表現に照れると同時に、そんな
ふうに感じとっていただきとても光栄! また、ヘルマン・ヘッセを思い出したそ
うで、懐かしくなりました。ぼくも中学から高校にかけて夢中で読んだ記憶があり
ます。特に好きだったのは『春の嵐』と『知と愛』、あと『デミアン』も。十代の
読書傾向は古典も含めてもっぱら欧米文学作品に集中していました。
子どもたちとにぎやかで忙しい日々を過ごしていることと思いますが、近いうち
に食事でもしませんか? 夢の話の続きもしたいと思っています。ぼくのほうは二
月中旬あたりがいいのですが、黒川さんの都合のいい日をお知らせください。
それでは冷え込みが厳しくなっていますので、風邪などひかないように!
芝山祐輔
二度読み返してから送信した。パソコンが鳴らす送信の完了音を聞いたき、芝山
の心は躍り、麻美からの返事が楽しみになった。
午前三時の静寂が室内に流れていた。芝山はピアノの音が欲しいと思い、ビル・
エヴァンスのTポートレイト・イン・ジャズUをかけた。
麻美との再会を想像しながら、芝山はふと片岡真貴子のことを思い出した。「出
版社の人を紹介してほしい」と要求してきた真貴子には強引に押し切られたような
形で「必ず合わせる」と約束してしまったので、彼女がアメリカに帰るまでになん
とか都合をつけて出版社の編集者と会う段取りをつけなければならなかった。やれ
やれと思いながら、芝山は麻美をどんな店に連れていこうかなどと考え始めた。
(つづく)