芝山祐輔さま
メールをいただきながら、また返事が遅れてしまって申し訳ありません。
お元気で執筆活動を続けられていることと思います。こちらは園児たちと
にぎやかな日々を過ごしています。ここのところ残業が重なり、帰宅してか
らも園児たちに聞かせる紙芝居の絵を描いたり、声を出して練習をしたりと
けっこう忙しい日々が続いていました。
本日も園児に「アサミせんせい、はやくあたらしいかみしばいしてよ」と
せがまれました。新作?は「ケンタのつばさ」という冒険の話で、同僚との
共同製作です。絵も文章も二人で考え、手分けして進めてきました。完成ま
であと一歩といったところです。園児たちの反応がとても楽しみです。こわ
くもありますが・・・。
紙芝居を作りながら思うのは、小説を読まないわたしでもお話をつくるっ
て楽しいということです。白い画用紙の上に色でも言葉でも少しずつのせて
いくうちに、お話は広がっていきます。でも、同僚と二人で描く絵は子ども
のような絵です。お絵書きをする園児たちと同じです。
二月中旬、わたしのほうも時間ができそうです。また芝山さんとお会いし
て、いろいろお話をうかがえるのを楽しみにしています。わたしのような小
説とは無縁の生活をしていたような人間が、初めて芝山さんの作品にふれて
感想を述べるというのは僭越ですが、『大地の風』だけでなく、ほかの作品
についても感想をお話してみたいという気持ちです。新鮮な感じです。
長くなってしまいました。明日から暦の上では春ですが、朝晩の冷え込み
が厳しいのでお風邪などひかれませんように。
黒川麻美
編集者の大野と別れて帰宅したときには、頭が重く、疲労感が残っていた
芝山だったが、麻美からのメールを読んで気分が落ち着いてきた。
『大地の風』の読後感を書いてきた最初のメールよりも、かなりリラックス
して書かれたものであることが文面から察せられ、芝山は親しみを感じた。
園児たちに囲まれた生活を送る近況を語っているからだろうか。それにして
も紙芝居をつくったり、園児たちと遊んでいる麻美の姿を想像することはで
きなかった。
芝山は記憶にある麻美の顔を思い出していた。あの凛とした顔でどのよう
に園児と接するというのだろうか。そんなことを思いながら芝山はさっそく
返事を書いた。
黒川麻美さま
メール、楽しく読ませてもらいました。
まだ一度しか会っていないので、実際のところ園児たちと遊ぶ黒川さんを
想像するのはとても難しいです。ぼくは子どもが苦手なほうで、二人の甥っ
子(五歳と三歳)と会っても戸惑うことが多いです。正月、半年ぶりに彼ら
と会いましたが、どう接していいのかわからなかった。
紙芝居「ケンタのつばさ」はどんな話なのでしょうか? ぜひ、会ったと
きに聞かせて下さいね。
さて、再会の日ですが、二月十二日の土曜日午後六時、青山にあるイタリ
アンレストランがいいかなと思っていますが、どうでしょう。待ち合わせ場
所は青山ブックセンター。レストランはそこから歩いて五、六分のところに
あります。もし、都合が悪ければ、お知らせ下さい。
再会、楽しみにしています。これでまた雪が降ったらいいのになどと勝手
に思っています。
芝山祐輔
芝山が麻美との再会の待ち合わせ場所を書店にしたのは、最初の出会いに
こだわったからである。そして、雪。当然、麻美はそのこだわりに気がつい
てくれるのではないかと確信していた。
メールを読み返してから送信した芝山はすぐにベッドにもぐりこみたかっ
たが、締め切りが迫っている原稿があったので寝るわけにもいかず、熱いシ
ャワーを浴びてからハーブティーを沸かして飲んだ。
ふと留守電のディスプレイを見ると、四件の電話があったことを知らせて
いた。チェックすると片岡真貴子の弾んだ声が聞えてきた。
〈芝山くん、本のほうね、九月に出版していただけるってよ。ありがとう。
明後日、アメリカに帰ることになったので、明日にでも会えないかなあ。お
礼にフランス料理、ごちそうさせてよ。今夜は遅くまで起きているから、電
話くれる?〉
そうか、決まったか。出版社の感触がよかったからな。宣伝の仕方によっ
ては、話題を集めるかもしれないな。そんなことをぼんやり考えながら電話
機に耳を傾けたが、残り三件のうちメッセージがあったのは編集者からの締
め切り確認のものだけだった。
片岡真貴子はやっぱり大学時代から変わらない面白い女だな、と芝山は思
う。十分にわがままで、自分の望むように生きてきたが、それが裏目に出る
ことはなかった。
大学時代の彼女を思い出してみると、確かに彼女には才能があったし、前
へ前へと突き進む強さがあった。それが鼻持ちならないものとして周囲のひ
んしゅくを買ったとしても、いっこうに気にしない。確かに真貴子には誰も
が認めるあらゆる条件がそろっていた。家庭環境、容姿、頭脳、渡米生活、
大学教授との結婚。そして、アメリカ在住の日本の若者たちのルポを楽しん
だ結果、それらは一冊の本になって九月に刊行されるのである。大学以前の
真貴子の人生を芝山は知る由もなかったが、ここまでは絵に描いたような順
風満帆の人生ということになる。
一方の芝山も作家デビューしたころは、マスコミによって「恵まれた人生」
が大いにクローズアップされた。誇張された記事に目を通すたびに、芝山は
面映ゆい気持ちにさせられたものだったが、好きな小説を書いてそれが幸運
にも世に出て称賛されたのだから悪い気はしなかった。しかし、年月を経る
たびに、自分ではない自分、もう一人の自分を客観的に見つめる自分がいる
ように感じた。作家活動を続けるいまも、芝山は自分はどこにいるのだろう
かとふと感じることがある。五年、十年のスパンで人生を考えるとき、果た
して自分はそのときどんな作品を書いているのだろうか。
作家を一生の職業としてとらえたのは、広告代理店を退社したときだった。
あのときは勢いがあったのだと芝山は思う。マスコミや世間も芝山に拍車を
かけた。新築マンションを購入し、外国車を乗り回し、才色兼備の妻を得て、
人もうらやむような生活を手に入れたかに見えた。しかし、それらのことは
芝山の人生においては自然な流れだった。少なくとも、芝山自身は大成功を
遂げたという思いはなかったのである。
子どものころから気楽な生活を送りながら、取り立てて言うほどの苦労も
失敗もなく、大学進学、就職へと順調に時間は流れていった。そして、人気
作家への転向。人はそれを「恵まれた人生」とひと括りにしてしまう。芝山
は多額の印税を得るために作家になろうとしたわけでも、作家に憧れていた
わけでもなかった。
芝山がなぜ小説を書こうとしたのか。そこに注目することを忘れて、人は
人気作家である芝山の小説を読み、新作を待ち望んだのである。
芝山はニューヨークに在住してまもなく、仕事から帰るともくもくと小説
を書いていた。当時は書き上げたものを発表しようという気持ちはなかった
が、日本に戻ってからも仕事の合間に長い小説を書き続け、それが完成した
とき、芝山は解放されたいと願ったのである。
なぜ小説を書こうとしたのか。自己の表現手段だったのか。答えは芝山の
中にあった。そして、なぜ片岡真貴子がアメリカで日本の若者を探してはル
ポを続けていたのか。芝山はなんとなくわかるような気がしたのである。
ここのところ締め切りに追われている芝山には真貴子のフランス料理の接
待につきあう時間などなかった。断りの電話をかけようと思ったが、午前一
時を過ぎていたので、午前中の早い時間に電話することにしてデスクの前に
座った。
ディスプレイの原稿をスクロールしながら、編集者の大野が提案してきた
ことを考えた。結局、両者の話し合いは決着がつかず曖昧なままに終わった
が、芝山は書き下ろし長編の梗概を下地にしてミステリー小説に挑戦してみ
ようか、という気分になっていた。そして、作家生活の岐路に立たされてい
る自分に奇異な感覚を覚えたが、それも悪くないなと少々投げやりな気持ち
で連載小説をディスプレイに呼び出し、キーボードを打ち始めた。
午前二時を回ったところで電話が鳴った。こんな遅い時間にいったい誰だ
ろうといぶかりながら受話器をとると、果たして片岡真貴子からだった。芝
山の電話を待っていたのだろう。いきなり大きな声が耳に飛び込んできた。
「芝山くん、起きてたの? なんだ、電話かかってくるの待っていたのよ」
「帰ってきたのが遅かったから悪いと思って、電話しなかったんだよ。それ
におれ、いま締め切りが迫っているんで、明日は無理だよ」
「残念だわ。でも、締め切りじゃ仕方がないわね」
「それより、よかったじゃないか。本、出ることになって」
「わたし、うれしくて天にも登る気持ちよ。こんなに早く決まるなんて、嘘
みたい。これも芝山くんのおかげです。さすがに人気作家はちがうわね」
「おれは何もしていないよ。やっぱり、片岡のルポを気に入ってくれたんだ
ろう」
「うれしい。アメリカに戻ったら、いろいろと準備があってたいへんなのよ。
原稿も写真も整理しなきゃならないし、当分はあっちとこっちを往復する生
活になりそう、がんばるわ」
「楽しみにしているよ」
「ありがとう。また、こっちに来たら電話するわね。芝山くんもいい作品書
いてね。あなたは希望の星なのよ。じゃあね」
ラインは切れた。真貴子のはしゃいだ声が耳に残った。
午前八時、芝山はどうにか連載小説の原稿を書き上げ、担当者当てにメー
ルで送った。頭がぼっーとしていた。顔を洗おうと洗面台の鏡をのぞきこむ
と、眼がくぼみ、青白い顔が映っている。首から肩にかけて違和感があり、
背を伸ばそうとすると、腰に鈍痛が走った。かなりの疲労がたまっているの
だろう。
芝山はぐっすり眠りたかったが、午後一時に雑誌社の取材が入っていたの
で顔だけ洗ってベッドに入った。サイドテーブルの目覚まし時計の針を十時
に合わせてから、えびのようにして横になると、すぐに寝息を立て始めた。
それから二時間後、夢の終焉を見届けることなく、突然、目覚めた芝山は
周囲を見回した。誰もいない。確か、見知らぬ女がおれに話しかけてきたは
ずだが。仰向けになって天井を見上げた。
芝山は奇妙な夢をみたのだった。夢の記憶を辿りながら、断片のひとつず
つを繋ぎあわせようとした。(つづく)