タウン誌「築地物語」の編集記者になったのは1992年11月下旬、
もうすぐ9年が経とうとしている。あっというまの9年間だったよ
うな気がする。
築地といえば魚河岸である。現在、東京都中央卸売市場の豊洲へ
の移転が決定され、大いに揺れている築地だが、移転には15年近い
年月を要するというから、実感はないだろう。しかし、地元の人た
ちや場外市場で働く人にとってはのんきに構えていられない状況で
ある。そもそも魚河岸は日本橋にあったが、大正12年9月の関東大
震災によって壊滅状態となり、芝浦から築地へと移転し、昭和初期
からT築地の魚河岸Uが定着して今日に至っている。築地から魚河
岸が消えてしまうのはかなり重い現実となるだろう。しかし、残る
場外市場をはじめ地元の人たちはポジティブな発想をもち、築地の
活性化をめざしているようだ。
最初、「築地物語」を担当することになったとき、不思議と戸惑
いはなかった。というのも、それ以前から築地との関わりがあった
からである。だから、懐かしく、再び築地で仕事ができることに感
動を覚えたものだった。築地の朝日新聞社ビルにあった某出版社発
行の雑誌(廃刊)のフリー編集者だったことがある。編集部はわた
しよりも年下の男女が多くて、毎日の作業がまるで部活のようなに
ぎやかさと、楽しさを兼ね備えたようなところだった。
編集者という仕事はつらい。誰かの原稿を待つ身であるがゆえの
つらさというものがあり、ひどいときは完徹しても原稿が届かず、
着の身着のままそこにいて原稿を待つのである。生活のリズムはす
っかり狂って、自分が何をしているのか把握できないまま季節が過
ぎていくという感じだった。しかし、徹夜明けの午前6時ころ眠そ
うな顔をした連中と築地市場へと繰り出すのである。朝食を食べた。
豊ちゃんで食べたオムハヤシ、ギョクおちのみそ汁。食べ終わった
らそのまま場外市場へと流れる。そこは不思議な空間だった。生鮮
品から生活雑貨にいたるまで、いろいろな店がひしめきあっている。
見て回るだけでもわくわくした。昼時もいろいろな店を利用して、
築地探検。楽しい思い出がよみがえる。
銀座の隣にあって、オフィス街と下町とが同居する東京の中の異
空間。この9年間、築地を取材しながらわたしはこの街、人に愛着
を覚えるようになった。声を掛けられて振り向くと、かつて取材し
た人の笑顔に出会う。ここで曇っていた心が晴れ間を見つけて足も
軽くなる。現在も築地はわたしに活気をもたらしてくれる街である。
人生、第二のターニングポイントが築地との出会いだったのかも
しれない。