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ぶらり京王線下車〜高幡不動と高尾山

 羽田〜千歳の航路を何度も飛んだ2002年上期だったが、気がつけ
ば、ほとんど都心から離れることがなかった自分がいた。ここでは
ないどこかへ移動すること・・・土曜日の昼、思い立って京王線に
乗っかって移動してみた。
 久しぶりの京王線。調布を過ぎたころから緑が目立ち、どんどん
都心から離れていくのだなと思うと心がはずんだ。聖蹟桜ケ丘で下
車しようと思ったが、さらに進んで高幡不動で下車。ふと、好きな
花の一つあじさいが思い浮かんだからだ。始まったばかりのあじさ
い祭り。あじさいの写真を撮りたいと思った。
 子どものころから水色もしくは薄紫色の小花をいくつもつけたあ
じさいは、わたしにはとても不思議な花に見えていた。 そして、
高幡不動尊の千古の緑に囲まれた広い境内を歩いていると、見たこ
とのないあじさいが数多く目に飛び込み、この花の奥深さを感じた。
弁天様そばの池には睡連の花がポカンと浮き上がって咲いていた。
 高幡不動尊金剛寺のこと。真言宗智山派別格本山、高幡山明王院
金剛寺といい、古来、関東三不動尊の一つに上げられ、高幡不動尊
として親しまれている。沿革によれば、平安時代初期に慈覚大師円
仁が、清和天皇の勅願によって当地を東関鎮護の霊場と定めて山中
に不動堂を建立し、不動明王を安置したのに始まるという。建武2
年(1335)8月、大風によって山中の堂宇が倒壊したため、時の住
僧儀海上人が康永元年(1342)麓に移して建てたのが、現在の不動
尊で関東で稀に見る古文化財で、続いて建てられた仁王門ともども
重要文化財なのだそうだ。足利時代の不動尊は「汗かき不動尊」と
呼ばれ(わたしも汗かきなんだった)、鎌倉公方をはじめとする戦
国武将の尊崇をあつめ、江戸時代には関東十一檀林に数えられ、火
防の不動尊として広く庶民の信仰を集めたのだという。
 高幡不動尊を後にして駅に戻ったのが、午後2時半をまわってい
た。新宿に戻るには中途半端な時間だなと思ったので、えいや〜と
高尾山に行こうと決めて電車に飛び乗った。登山するには少し無理
なスタイルだったので、ここはケーブルカーで一気に登るのが最善
と考えた。そして、高尾山薬王院までをスタスタ徒歩。 山道を登っ
ていると、なんとウグイスの声が聞こえてきた。そして、名前の知
らない鳥たちの歌声が森閑に響き渡るのである。途中、わたしの好
きな詩人の一人である北原白秋の「我が精神 こもる高尾は夏雲の
 下谷うづみ 波となづさふ」の歌碑が目についた。そうか、白秋
は 高尾山を散策したのかと感慨深くなった。
 薬王院は、真言宗智山派の大本山で「高尾山薬王院有喜寺」とい
う。いまから1200年前というから、本当に古い寺である。この薬
王院の変遷を辿っていけば、北条氏の歴史と交差する。その辺に関
しては、もっと知りたいと思った。薬王院本堂横手の大師堂の前に、
水原秋桜子の「仏法僧 巴と翔る 杉の鉾」の句碑もあった。おみ
くじは大吉であった。「身代り念珠」を求める。そして、願いごと
は欲張らず、ひとつだけ。そして、感謝・・・。
 山頂から眺める景色、鼻腔いっぱいに広がる高尾山の空気。ひん
やりとした風にそよぐ緑のささやき、鳥たちの歌声。また、近いう
ちに来よう。今度は自力で登る高尾山である。

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