2003年は冷夏だった。
東京の梅雨明けが例年よりも10日も遅かったばかりか、気温も低く、8月の中旬には20度を下回る雨の日が続くなど異常気象に見舞われたが、9月に入ってからの突然の猛暑。それは夏の忘れ物だったのか。
この日、9月13日も朝から気温がぐんぐん上がり、真夏のような暑さだった。午前中は頼まれていた割り付けの作業に四苦八苦していたので、時間がどんどん押してしまった。久しぶりの遠出は、千葉県我孫子市布佐。目的は相島美術展の作品鑑賞とイベント“月下奏楽”。
デジカメをぶらさげて家を出たのが2時近かった。ひたすら地下鉄千代田線に乗って50分、我孫子駅に到着。そこから成田線に乗り換えて布佐駅で下車のはずが、勘違いして上野方面行きの常磐線に乗ってしまい、あれま逆戻りではないかと気がつき柏駅で下車。再び、我孫子駅へ。電車を待つ女性に成田線はこのホームでいいのかと確認する。
我孫子駅から4つ目の布佐駅にようやく到着したとき、すでに時計は3時半を回っていた。手にしていた案内図では現地まで徒歩20分という距離だったので、タクシーを利用することにした。ところがタクシーは走っていない。あれま〜で、駅前でタクシーが現れるのを待つこと10分。
ようやく、1台がやってきたので乗り込み「近くて申し訳ないのですが、相島芸術文化村までお願いします」と恐縮しながら伝えるも、返事なしの無愛想。そりゃ、そうか。ワンメーターそこそこの距離だもの。運転手が車を走らせてすぐに今度は神輿の行列にぶつかり、田舎の狭い道路は渋滞でノロノロ運転。「まったくなあ」と舌打ちする運転手の不機嫌な声。
信号が青になったと同時にわき道へそれて、細い道をブンブン飛ばす田舎のタクシー。乗っていて怖かった。「ここだよ」と言われ、急いで料金を支払い、車外へ飛びだした。
瀟洒な美術館を想像していたのだが、目の前に建っているのは土塀に囲まれた古い日本家屋。おお! これが相島芸術文化村なのか。合点。
昭和初期に手賀沼干拓を完了させた井上家の屋敷内にある相島芸術文化村は(相島とは井上家の屋号)、相島工房を含め発足8年。相島の建物と環境を保全し活用することを目的としており、これに理解をもつ会員と、その他の多くの人たちの関心とボランティア的活動に支えられ運営され、音楽会や展覧会、講演会などを催してきた。
母屋ギャラリーでは、陶芸、染色などの作品展示。柿渋染のれんやコースター、古伊万里を思わせる染付け磁器などの作品群を見て回ってから外に出る。それにしても暑い。時計は4時を回っているというのに猛烈に暑い。9月中旬とは思われない暑さである。だがしかし、夏に完璧なる猛暑の醍醐味を味わうことなく初秋に突入してしまったなあと寂しく思っていたわたしにはうれしいほどの暑さである。
敷地内に建つ2棟の倉のたたずまいがとてもいい。ただ、眺めているだけでもうっとりしてしまうような風情があるのだ。
江戸時代後期に建てられ、床下にヤマトシジミの殻が敷かれた〈貝の倉〉には小舟のオブジェが浮かんでいる。靴からわらじに履き替えて中を歩いてみた。踏みしめるたびに貝殻と貝殻のふれあう涼やかな音。それはまるで波の音をイメージさせ、とても気持ちがいい。急な階段から屋根裏に上がってみる。米や穀物を貯蔵する倉というだけあり、床も梁もがっしりしている。日がな1日、寝ころんでぼーっとしていたいような空間だ。
隣に建つ米倉は昭和初期のもので、3年前に地元の造形作家の手によってギャラリーとして甦ったその名も〈月光倉ギャラリー〉。入り口付近で、本展に出品している萩原哲夫氏と挨拶を交わす。彼のメインの作品は倉の正面を飾り、倉全体の雰囲気にマッチしている。
「作品の展示には苦労しました。どうしても作品が倉の持つ力に負けてしまうんですよ」とは萩原氏の弁。
なるほど、倉の中央に建ってみると、70年以上も前の時間が気配を生み出し、倉そのものが巨大な作品に思えてくる。不思議なパワーを感じるのだ。ほかの作品を見て回ってから、倉の外へ。
裏庭には、土を美しく盛り上げて創作した二つのオブジェ。生い茂る雑草も作品に花を添えているようで、ほほえましいかぎり。
敷地の外に出てみれば、これまた日常を忘れさせてくれるような気持ちのいい風景が広がる。日が落ちても相変わらずの暑さだったが、時折、頬をなでる風はすでに秋のそれ。
ふと、足の裏から伝わってくる柔らかな感触に気がつく。そうか、わたしはここに来てから土の上を歩いていたのだな。硬いアスファルトやコンクリートの地面を歩くことで終始する東京の生活からポーンと飛んで、わたしは土を踏んでいるのである。
倉の周辺を歩く。いいなあ、土の感触、雑草たち。足元に気をとられていると、あら、これも作品!などと発見できるのがとても楽しい。美術鑑賞は自然鑑賞? なんて思いながら、さらにふわふわと敷地内を散策していると顔見知りの詩人、ラテン富田さんに遭遇した。彼女と立ち話をしていると、今度は同じ詩人である泉俊行さんとも偶然に出会って、「あら〜」と少し立ち話。それぞれは思い思いに鑑賞するべく倉の中へと消えていく。
辺りがすっかり暗くなったころ、どこからともなく老若男女が集り、月光倉ギャラリーで行われるイベント“月下奏楽”を待つだけとなる。
空を見上げる。キラリ、星が光っている。だが、月は見えない。果たして、イベントに合わせて、月はその姿を現わせてくれるのだろうか。
月光倉ギャラリーに畳が敷かれ、観客たちが導かれるようにして倉へと吸い込まれていく。“月下奏楽”とはいかがなものか? それぞれが畳に腰をおろして、そのときを待つ。
わたしは座禅をくみ、瞑想のスタイルをとる。一瞬、すべての雑念が消え、ふわ〜っとした感覚にとらわれて気持ちよくなる。敏感になった聴覚がとらえる虫たちの鳴き声だけが響いてくる。心にしみてくる。虫たちには月が見えているのだろうか。
ゆっくりと目をあけてみる倉の中。虫たちの声がいっそう力強く聞こえてくる。あたりを見回してみると、人たちは神妙な顔つきで正面を、天井を見つめている。小さき子らも父や母に寄り添いながら不思議な気配を感じて微動だにしない。
この柔らかな親しみを何と表現したらよいのだろう。素に返る。元始を見る。小さなステージにセッティングされた箏が微笑んでいる。
筝曲家・柳澤カツミ氏の演奏が始まった。ライブで箏の音色を聴くのはほんとに久しぶりのことだった。わたしにとって箏の調べは水のイメージである。川のせせらぎやさざ波。あるいは湖面にただよう紅葉のきらめき。宮城道雄作曲の「春の海」を聴くと、やはりお正月気分になるのだから不思議だ。
箏に続いて演奏される尺八の音色は風のイメージである。竹林を抜ける風。あるいは朝もやのかかった山里。さらに箏と尺八の合奏。水と風の響きあいが琴線にふれ、郷愁を感じさせるものだった。
そして、ヴォイス・パフォーマー柚楽弥衣さんの“歌”にわたしは打たれてしまったのである。なんと表現したらよいのか。そこには言葉はなく、澄んだ声の高低の響きによって独特な“歌”が編みだされる。声は倉という空間に反響しながら、まるで天空へと飛翔するように感じられる。そう、ここではないどこかを浮游しているような感覚だ。
突然、わたしは消えてしまった大切な命たちの甦りを見た。胸の奥底から込み上げてくるものがあった。ふと、気がつくとわたしは涙を流していたのだった。
休憩をはさみ、今度は倉の外でライブである。なんと、虫たちの大合唱に導かれるようにして丸い丸い月がようやく姿を現わし、人たちの歓声があがる。
箏、尺八、そしてシャーマンのような歌声が長月の夜のしじまに響き渡った。まさに、文字通りの“月下奏楽”となったのである。
もう一度、この“月下奏楽”を聴きたいと思ったわたしは何者かにせかされるようにして、翌週18日にも相島美術館へと出かけたのだった。